2020.09.10

「総裁選」

 安倍総理が辞任宣言して次期総裁選に3人の候補者が立候補した。菅・石破・岸田の3氏である。それぞれが政策の論争を繰り広げている。国民は総裁選に対してどれ程の関心を持って見ているのか疑義を感じる。世界における日本の立ち位置は経済や環境・安全(防衛)等各国とのバランスの中で非常に難解な場所にあると考えます。中国とアメリカの関係に対する日本の取るべき道筋の判断は難解極まりないでしょう。さて一方で国内情勢ではコロナウイルスにより停滞した経済の立て直しは危急の課題として取り上げられている。まさに予断の無い対策を実施すべく3候補者の政策の具体的対策と実施計画が必要でありその論争を期待するところである。しかるに、アベノミクスの継承・格差是正・地方創生等が各候補の政策の中心として挙げられた。これらの政策に対し国民はいかに捉えたのであろうか? そもそも政治とは?どういう意味でどういうモノなのだろうか?大辞泉では「主権者が、領土・人民を治めること」政治学者ロバート・ダールは「政治というのは権力・ルール・権威を含むような関係全般」と定義している。非常に難しい内容である。何れにしても権力(主権)者が領土と国民を統治して行く事なのであろう。ではどのように治めていくのか?日本の権力(主権)者は一体どのようにこの国を治めていきたいと考えているのか?日本の主権者(国民)はどんな国にしたいのか?全く分からない。それは他の国に比べて政治に対する国民の関心度が低いからだと考える。一方ではそれだけ日本は平和だと言えるのかもしれない。言論の自由や行動すること自由が保障され、生活に最悪困窮すると生活保障制度が整備され、生活する事が出来ない死への恐怖が緩和されている。だからこそ何とかなる。という感情が常に脳裏に混在する。この制度は野垂れ死にすることは決してない安心感を国民に浸透させた。そしてその水準さえも最低賃金で働く人々と同レベルほどのものである。安心安全は時としてその国の統治に対する政治への無関心感を醸成させる。今、国民はコロナ以前のような自由はない。行動の自由は制限されている。旅行(海外含む)等の外出・人との接触・マスクや消毒液の使用など行動の自由が制限されこれに伴う経済活動の自由も制限された。収入は減り雇用の維持も不安定の状況が今後も進む。日本国民は自由社会環境の島の中で戦後暮らしてきたのである。しかし、コロナウイルスと言う病原菌によりこれまでの社会環境構造が歪められた。『自由』に制限がかかった。この事を強く認識しなければならない。これは一つのきっかけに過ぎない。日本は国民主権国家です。国民は一体どんな国にしたいのか?政治に目を向ける時が来ている。又は目を向けざるを得ない状況に今まさに突入する。大変革の環境に私たちは立ち向かわなくてはならない。その舵取りは総裁にあるのでは無い。権力(主権)者にあるのです。

 経営環境も今後の政策により大きく変わるという事を了知しておく必要がある。

有限会社レイバー経営者コラム「総裁選」